こんにちは!
with Graphic を運営している
アートディレクター、北井陽菜です。
これまで、
TikTokやAdobeの公式PR動画の制作、
AdobeやPinterestといった
公式イベントへの登壇やインタビュー、
トップクリエイターとのコラボレーション、
保育園ロゴのデザイン、
さらには東京都下水道局との
ZINE制作など、
さまざまな案件に携わってきました。
どれも「自分の世界観」を軸に
受注してきた仕事です。
今では、SNS発信を通じて
その世界観に共感してくださる方々から、
営業をしなくても
好きな仕事が舞い込む毎日を
送れるようになりました。
今回は、私がアートディレクターとして
働けるようになるまでの道のりを
お話ししたいと思います。
ものづくりが大好きだった子供時代
小さい頃から、
私はものづくりが大好きでした。
絵を描くことも大好きで、
紙とペンさえあれば何時間でも
集中できる子供でした。
人と話すのが得意ではなかった私にとって、
ものづくりは世界と繋がる
唯一のツールであり、
存在意義そのものでした。
自分を表現できる、
たったひとつの方法だったのです。
幼稚園時代は工作に夢中になり、
思いついたものを自由に作っては、
夢中で手を動かしていました。
その頃はただただ楽しくて、
ものづくりを通じて
毎日楽しく過ごしていました。
「お前にはできない」否定ばかりの冴えない日々
ところが、小学校に上がると
現実は一変しました。
絵が上手な同級生に笑われたり、
塾の先生に「将来の夢は?」と聞かれ、
「ものづくりを仕事にしたい」
と答えただけで
「夢見る夢子ちゃん」と揶揄されたり。
大好きなはずのものづくりが、
いつしか否定の対象となっていったのです。
美術を学べる中学校を受験するも、
不合格。
せっかくの学びのチャンスを掴めず、
美術を好きな気持ちは変わらないのに、
学ぶ場さえ与えられませんでした。
私は「好きなのに進めない」
という矛盾に苦しみ、
どん底の日々を過ごすことになります。
中学で美術部に入部しましたが、
そこでも壁が立ちはだかりました。
顧問の先生には計画書の段階で
作品を却下され続け、
挙げ句の果てには
「お前は美大に行けない」
と言い切られてしまったのです。
当時の私にとって、
ものづくりは存在意義そのもの。
だからこそ、
その全てを否定されることは、
まるで自分の存在を否定されたかのようで、
とても苦しい時間でした。
失敗の連続
それでも私は諦めず、
ものづくりを続けました。
中学3年生のとき、
体育祭の応援パネル制作で
リーダーを任され、パネルに描く元絵を
担当することになったのです。
リーダーなど一度も経験がなく、
プレッシャーに押しつぶされそうで
怖くて仕方がありませんでした。
けれど「ここで逃げたら悔しい」
と、自分を奮い立たせ挑戦しました。
放課後はギリギリまで残り、
チームで集まって制作を続けました。
その結果、
見事に優勝を果たしたのです。
初めて「自分の努力で結果を掴んだ」
と感じられた瞬間でした。
思い返せば、
これがアートディレクターという
今の仕事に繋がる、最初の
小さなきっかけだったのかもしれません。
ちょうどその頃、
美術部の顧問の先生も変わり、
新しい顧問が私に
「お前には才能がある」
と言ってくださったのです。
ずっと否定され続けてきた私にとって、
その言葉は大きな救いでした。
「できるかどうかを決めるのは自分だ」
と心から思えるようになり、
美術高校の受験を決意しました。
画塾に通って必死に努力を重ね、
なんとか合格を勝ち取ったのです。
しかし、
高校生活も決して
順調ではありませんでした。
周囲には自分よりずっと上手な人ばかり。
私は最低評価を受けることも多く、
油絵は全く描けず、不器用さが目立ち、
悔しい思いの連続でした。
小さな成功を手にしながらも、
壁にぶつかってはまた苦しむ。
その繰り返しの中で、
私は何度も立ち止まりそうになりながら、
それでも前に進もうと
必死にもがいていました。
心を奪われたデザインとの出会いから、転機へ
そんな苦しい日々の中で、
私を強く惹きつけたのが
「デザイン」でした。
原宿の通学路に並ぶ
ポスターや広告の数々、
その鮮やかなグラフィックに心を奪われ、
中学時代に出会った
アメリカンポップアートには
雷に打たれたような衝撃を受けました。
――「私に必要なのはデザインだ」。
この確信が、
次の人生を大きく変えていきました。
大学ではデザイン科に進学。
一流の先生方の授業は
目から鱗が落ちるようなものばかりで、
初めて「これだ!」と思えました。
まさに水を得た魚のように
作品を作り続け、印刷所で徹夜を重ね、
玄関で寝てそのままプレゼンに
向かう日もありました。
締め切りに追われて
ボロボロになりながらも、
「生きている!」と実感できる毎日でした。
私は最初から
「就職して会社員として働くのは向かない」
と分かっていました。
だからこそ「自分の力をつけるしかない」
と決め、課題と並行して
デザイン事務所でのインターンや
知人づての案件を受け、
学んでは実践を繰り返していました。
しかし、そこで目にしたのは、
激務に追われ、心身を病み、
次々と現場を去っていく
先輩デザイナーたちの姿でした。
――「あんなに苦しい思いをして
必死で学んだ先に、
待っている未来がこれなの?」
私が進みたい未来は、
どこを探しても見つからなかったのです。
苦しむ人があまりにも多すぎる。
価値と現実はまったく比例していない。
何も分かっていない人からの
理不尽な修正指示。
終わりのない締め切り地獄。
命を削って完成させた作品でさえ、
名前を出すことは許されない。
それが“よくあること”として、
当たり前に存在していました。
誰も進路を教えてくれる人はいない。
どこを探しても、自分の未来はなかった。
やりたくないデザイン案件をこなし、
使い捨てられていく才能。
「デザインはこんなに素晴らしいのに、
どうしてこんなに苦しまなければ
ならないんだろう。
こんなに価値があるものなのに、
なぜ報われないんだろう。」
誰よりもデザインの価値を
信じていた私には、
その矛盾がどうしても耐えられませんでした。
――「このままでは、私も壊れてしまう。」
そう悟った私は、卒業後すぐに
フリーランスとして飛び出す決意をしました。
自分の道は、自分で切り拓くしかない。
これが、私の人生を大きく変える
「転機」となったのです。
最初の成功
現実は甘くありませんでした。
繋がりも実績もゼロ。
私は
「インターネットを使えば必ず道は拓ける」
という確信を胸に、ブログ70記事、
Pinterestから始めたSNS投稿は
300投稿以上を積み重ねました。
しかし、仕事には一向に繋がらず、
アルバイトをしながら、
誰にも届かない発信をただひたすら
続ける苦しい日々が続いたのです。
そんな中、転機が訪れました。
「ショート動画」という
新しい波が現れたのです。
フォロワーゼロでも、
明日100万人に届く
可能性を秘めた媒体。
私は直感しました
――これはただの流行ではなく、
“人に届くための新しい仕組み”だと。
実際、ただ投稿するだけでは
誰にも届きません。
でも、ほんの小さな工夫と
「あるコツ」に気づいた瞬間、
すべてが変わりました。
まるでスイッチを入れたかのように、
投稿が人に届き始めたのです。
その証拠に、
「りんご飴専門店のメニュー表」
をテーマにした一本の動画が、
190万回再生を記録。
そこから依頼が次々と広がり、
世界が一変しました。
ようやく掴んだものづくりを仕事にする日々
その後は、AdobeやTikTok、
Pinterestといった
大企業のPR動画制作や
公式イベント登壇、
トップクリエイターとのコラボなど、
夢に描いていた仕事を
次々と実現することができました。
営業ゼロでも
「あなたにお願いしたい」
と依頼が舞い込む仕組みを完成させ、
世界観に共感してくれる人たちに
囲まれながら、幸せな日々を
過ごせるようになりました。
さらに嬉しかったのは、
ただ仕事をこなすのではなく――
正当な対価をいただきながら、
自分の作品を心から喜んでもらえること。
デザイン業界では、かつて
「デザイナーはボロ雑巾のように
使い捨てられる」という
構造的な問題がありました。
激務で心身をすり減らし、
報われないまま
現場を去っていく人が多かったのです。
けれど私は、自分の発信を通じて
その状況を変えることができました。
対等な立場で、自分の作品を
「宝物のように大切に喜んでもらえる」。
そして「ありがとう」と感謝される。
その喜びこそが、
私にとって最大の幸せであり、
ものづくりを続ける原動力になっています。
私はデザインそのものを
したかったわけではなく、
自分の作りたいものを
最大限に表現するツールとして
デザインが必要だったのです。
そして、クリエイターが
幸せに生きる道を作りたかった。
何年ももがき続け、
諦めずに追求し続けた結果――
今それを自らで証明できたことが、
本当に嬉しい。
だからこそ、
一人でも多くの方に
この喜びを体験してほしいのです。
プロのデザイナーになる方法とは
ただ、ここに至るまでには、
数年に及ぶ遠回りがありました。
同じように悩んでいる人が、
私と同じ遠回りをせずに
もっと早く結果を出せるように――
その想いから、
自分が掴んだコツや経験を
「体系化」し、講座として伝え始めました。
なぜなら、発信のコツを知らなければ、
どれだけ作品が良くても
誰にも見られないまま時間ばかりが
過ぎてしまうからです。
そして、仮にバズったとしても
「仕事に繋がらない」
という壁に必ずぶつかります。
デザイナーとして活動する中で、
数々の名だたる企業のデザインを手掛ける
プロの先輩デザイナーや、
多くの影響力を持つインフルエンサーとも
仕事をすることができました。
彼らからは、プロのデザイナーや
クリエイターとして生きていくための
マインドやテクニック、
たくさんのヒントを得ることができました。
そして私はそれを自分の現場で
何度も試行錯誤し、
再現性のある「型」として
まとめていきました。
例えば──
冒頭1秒で「この投稿は見る価値がある」と思わせる工夫をする。
・世界観を言語化する力
作品の意図や想いを“言葉”で伝え、「お願いしたい」に変える。
・依頼に繋がる導線づくり
プロフィール・ポートフォリオ・お仕事ページを整え、見た人がそのまま依頼できるようにする。
・継続を支える仕組み化
ネタの育て方や投稿スケジュールを持ち、無理なく続けられる環境を作る。
・選ばれるための見せ方
価格・実績・お客様の声を正しく提示し、「安さ」ではなく「信頼感と世界観」で選ばれるようにする。
書けばキリがありませんが、
どれも目から鱗の内容ばかりでした。
そしてこれらを自分の実践で検証し、
体系化してきたおかげで──
今では営業をしなくても、
世界観を気に入ってくれた方から
デザイン案件が舞い込む仕組みを
作ることができるようになりました。
私が回り道をしながら
ようやく見つけた発信のコツを
凝縮しました。
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